フーテンのあるるかんの特撮三昧の備忘録

日常と特撮について語るブログです。

世界の悪意と闇と影から生まれた存在。孤高のヒーロー仮面ライダーという存在

こんにちは。あるるかんです。先ほどウルトラマンについてザックリとした記事書いたので、続いては悲劇性と苦悩を抱えながらも、哀しみを力へと変えた孤高のヒーロー「仮面ライダー」について書いてみようと思います。なぜ彼らは人類の自由と平和の使者となり得たのか?

 

まず一つの大前提として、昭和平成令和と共通している点が挙げられます。それは変身というキーワードが悪の技術に類するものが由来であることです。

改造人間という呼称は差別的な表現につながるとして平成、令和共にあまり扱えなくなってきてはいるのですが、昭和なら悪の組織ショッカーよる改造手術が代表的ですし、平成になると悪が起源となったオーバーテクノロジーによって変身するなど方法をとっています。

その多くが悪の最先端技術をもとに彼ら仮面ライダー作り上げています。でも彼らは悪の手に染まらず、図らずも手に入れたその力を行使した巨悪に立ち向かう姿が魅力的です。

 

ただ最近ではバイクなどには乗らなくはなってきましたが、仮面ライダーと言えばバイクなどのマシーンを駆り敢然と敵と渡り合う姿が印象的です。

 

 

平成に入り、かつての絵空事だったショッカーなどの悪の組織のテロや破壊工作は9.11によって現実のものになり、制作側も海外のCG多用のSF洋画のクオリティへの影響や正義のあり方など昭和からの宿題への回答が行われるようになりましたそれを現状の子供たちにも向けても送り続けたのです。

 

2000年に開始した仮面ライダークウガはまさに伝説を塗り替えていきました。リアルでグロいともとれる未確認生命体と呼ばれるグロンギという超古代の戦闘狩猟民族は殺人ゲームゲゲルで、多くの人々の命を奪っていくのです。警察も対応不能の敵に五代雄介こと仮面ライダークウガはこの血で血を洗う修羅の戦いに身を投じていくのです。

 

窮地に追い込まれながらも警視庁の一条薫たちの連携し、強力な敵を撃破していくそれは昭和のプロットをさらにその先を描いていったのです。製作陣の言葉を借りるとプロデューサーの高寺氏は理不尽な怒りや悲しみを暴力で暴力否定できないだろうか?と考え、文化圏も価値観、倫理観も異なる種族相手に本来拳を振り上げることに抵抗を感じる五代が図らず得た力で暴力によって彼らの行いを否定するのです。

 

このクウガの世界観は現在のコロナ禍と非常にリンクしている節があります。得体のしれないウィルスとグロンギ生活様式は変わった上で、緊急事態宣言下のようなアフターコロナの世界そのものです。グロンギによって奪われる無辜の人々、そしてそれに立ち向かうクウガと警察の構図はウクライナへの侵略とも重なるところがあります。

 

そして先ほど出た9.11のあとに制作された仮面ライダー龍騎は13人の仮面ライダーが最後の一人になるまで戦い、生き残った者だけが願いをかなえるというバトルロワイヤルものになり、戦争や紛争も多発した時期でもあり、経済に影を落とし不景気が蔓延した時代でもありました。信ずるものは己ひとり過度の競争社会の縮図ともとれる作品がこの龍騎でした。

またそのあとも3.11の大震災時において仮面ライダーも表現の自主規制を強いられます。過激な表現などは自主規制しておけとの世の中の無言の圧力によってフォーゼ、ウィザードなどは守りに入らざる得ない状況であったと記憶しています。

 

ですが次回作仮面ライダー鎧武では、守りに入った平成ライダーに刺激、挑戦する精神をよみがえらせてくれました。理由なき悪意、人間同士の醜い抗争や覇権争い武部プロデューサーと脚本家虚淵玄のタッグはまた新たなステージ誘ったのです。

 

この記事だけでは語りつくせぬ魅力あふれる作品が仮面ライダーであり、悪に反旗を翻す鬼っ子モンスターヒーローはリメイクや動画配信作品、アニメ、漫画媒体新たなクリエーターたちの手で蘇り続けています。現行仮面ライダーバイス、今秋には仮面ライダーBLACKSUN,来年はシン仮面ライダーも控えており、親子三世代ものとなった特撮のキラーコンテンツでもある仮面ライダー今宵はどの作品を見ようか。どれも素晴らしい作品なので迷いますね。