フーテンのあるるかんの特撮三昧の備忘録

日常と特撮について語るブログです。

私にとっての平成仮面ライダーの始まり。クウガとアギトまでを少々。

 

こんにちは、最近ウルトラマン関連に関わる記事が多くて、今回は仮面ライダーとりわけ、平成仮面ライダーの初期の平成仮面ライダークウガとアギトについて簡単な紹介と私に思い入れというか、当時の思い出を交えながら今回は書いていこうと思います。

 

ではまずは2000年に堂々の復活を果たした仮面ライダークウガについてですが、空白期間が長かった仮面ライダーに新作に胸を躍らせた記憶がいまだ鮮烈で今でいうPV的なテレビCMはどんな仮面ライダーが登場するのか?と期待値が上がっていき、実際テレビでの放送を見たとき、いい意味での裏切りが満載でした。

 

それは昭和の仮面ライダー然としない主人公五代雄介役にオダギリジョーさんのフラットというか自然体な演技とキャラクターに意表を突かれ、そしてのちに平成の滝和也とも称される一条薫役の葛山信吾さんとのタッグは警察と仮面ライダーとの共同戦線として描かれます。

 

物語が進むにつれどんどん激化する戦いの中、謎が謎を呼ぶ未確認生命体グロンギとの攻防が刑事ドラマと日常が破壊されていく有事の世界観とのダブルスタンダードとして描かれていき超古代の文明を解き明かすことで見えてくるクウガグロンギとの関係また戦いにおける勝利のヒントを得ていく二話構成のストーリー展開は難解になりすぎずスマートにその世界観に浸れる作風が時に残酷で戦慄の恐怖描写もワンクッション置くことで子供大人も楽しめる鑑賞に堪えうる作品になった気がします。

 

クウガは一貫して暴力へのためらいが五代雄介の中でありました。闘うことでしか分かり合えないことは悲しいとグロンギによって恩師の命を奪われた若者に投げかけるシーンは当時の私の心に刺さりました。その女性が言葉で和解しようする姿勢は現在のウクライナ情勢やコロナ禍にも通ずるものがあります。キレイごとでは済まされない過酷な現実とクウガの世界観で起こる暴力でぶつかり合う人類とグロンギは現実への暗喩でもありました。

 

そしてラスボスである、ン・ダグバ・ゼバとの最終決戦が雪山での血を吐きながら戦う姿には胸が痛んだ記憶があります。五代は泣きながら拳をふるい、ダグバは嬉々として笑いながら拳をふるう対照的な両者はボロボロになり、結末を待たずに終わり、最終回雄介では五代雄介の消息が明らかにされておらず、もしかしたら死んでしまったのではと思わせる描写すらあり、彼はきっとようやく争うことない冒険旅行に出掛けることが出来たと解釈したく思うところです・・・。

 

 

このクウガの大ヒットを受けて次回作が製作されることになったの仮面ライダーアギトでした。クウガと地続きかと思われましたが、いわゆるパラレルワード的に世界観がどんどん展開されていきました。このアギトは記憶喪失の青年津上翔一が変身し、神々の使徒天使でもあるアンノウンという謎めいたグロンギを超える敵に立ち向かうのです。

 

このアギトではメインとして三人の仮面ライダーが据えられており、すでに仮面ライダーである男津上翔一アギト、仮面ライダーになろうとする男氷川誠G3-X、仮面ライダーになってしまった男葦原涼が登場し、それぞれの立場や考え、運命に翻弄され闘いに身を置くことになるのです。

 

時に懊悩しながら挫折したり、苦悩や葛藤、死別などを繰り返し、彼らは過酷な運命を懸命に乗り越えて、神との闘いに勝利するのですが、それは神から与えられた人間への行く末への猶予の暗示でもあるのです。

 

三者三様の物語はどれも人間にまつわるものと理解していいくらいの、人間ドラマが群像劇として描かれていき、物語のベースはサイボーグ009の天使編や神々との闘い編のオマージュであり、脚本家井上敏樹氏の作風が色濃く反映されており、人間ドラマとしても日常と織り交ぜながらこの壮大なアギトサーガを描き切りました。

 

のちの平成仮面ライダーでも用いられる料理や食事シーンの多用は今作品からだと思います。いろんな意味で暗喩ではあるものの、日常生活を切り取る上で、食事や料理のシーンはいい意味で息抜き材料も担っていた気がするのです。

映画版でのワンシーンで生きることを肯定するセリフとして、津上が氷川からの質問に対しての回答として。印象的なセリフが生きるってことは美味しいってことだと思うんです。何を食べても美味しいし、何も食べなくても美味しいんです、死なんか背負ったら不味くなります。今セリフは妙を得ていてのちの展開に大きく関わり、映画版ではラストの名台詞にもつながるのです。

 

このアギトは映画化もされ、大ヒットを生み夏の恒例仮面ライダースーパー戦隊のセット映画が上映されることになりきっかけにもなったいわゆる流れを作った作品であり、クウガは美しい作品、いわば芸術的な感性で作られた作品、翻ってアギトは面白い作品だと井上敏樹氏は語っており、エンたーティメント性と、群像劇の人間ドラマの強化海外ドラマや映画に影響されたCGや映像技術それらはのちの後続作品にのフォーマットとして、機能しており前作超えるのが平成以降の作品の仮面ライダーでは求められるように変遷していったのです。

 

各々正義が思想がぶつかり合うことで生まれるドラマ性は確実につながりを見せ次回作龍騎や555では正義と何かということが問われるのようになっていきます。その基礎を担ったのが平成ライダーではクウガとアギトの二作品が先鞭を切りトップランナーとして走り続ける原動力になったに違いないと感じます。長くなりましたが本日はこの辺で・・・。