フーテンのあるるかんの特撮三昧の備忘録

日常と特撮について語るブログです。

劇場版仮面ライダー龍騎 EPISODE FINALと13RIDERSは私の忘れ得ぬ思い出の作品です。

こんばんは。あるるかんです。

 

今宵もまたしばし、このブログ記事にお付き合いのほどを。

 

今回なぜ、この仮面ライダー龍騎を選んだかというと、ただかけがえのない今は亡き友人と学生時代見に行ったり、自宅で一緒になって視聴した私の個人的にすごく思い入れのある作品がこの両作品でした。

 

9.11の同時多発テロを受けて、特撮作品や番組に至るまで多大な影響を与えたのが、この前代未聞のテロ事件を鑑み、当時の東映の製作陣はアギトの次回作にどのような正義を提示するのか?盛んなディスカッションが行われ、最終的に行き着いたのは正義あり方とは絶対的な正義などはあり得ない、人の数だけ正義や思想、行動原理があるということ提示したうえで仮面ライダーが殺しあうバトルロワイヤルが描かれることになりました。

 

頼れるのは己のみ、お互いに戦い最後の一人になるまで戦う、それは純粋な願いであり、最後の一人が見る光景はおのが望みをかなえるといったってシンプルかと思いきや、そこには人間の業が描かれ、あるものは恋人の命を助けるために、あるものは不治の病から助かるために、またある者はライダー同士の戦いを止めるため、ゲームに興ずるように戦うもの、殺戮と暴力を実現する脱獄犯、ゆがんだ正義感から英雄になることを望むもの、幸せになりたいと願うもの。13人の仮面ライダーにはそれぞれの思惑があり、正義がありました。

 

それをまだシリーズ途中での夏の劇場版として最終回を先行上映したのが、EPISODE FINALとTVSPの13RIDERSの視聴者参加型のラストの結末を選択できるというものでした。結論から言えば劇場版もTVSPも終わりなきエンドレスワルツのような終わりなき戦いの行く末を暗示していてパラレル的に展開したのがこの両作品、どのみち戦いを止めようとも続けようとも、仮面ライダーが人間である以上それは決して終わることのない生き地獄であり、修羅の世界。誰かの犠牲で成り立つ現実への暗喩ともとれる、それを強いるセカイ系の中で彼らはあがき続けました。そしてミラーワールドの創造主たる神崎兄妹も妹は自死し、その姿に絶望し消滅する兄により、世界は崩壊する劇場版親友と認識しながらも最後闘う運命から逃れられない城戸と蓮

 

テレビシリーズでも最終回において神崎兄妹は消滅し、過去の自分たちの異界ミラーワールドに自らを閉じ込めることでライダーバトルが起きない世界のために自らを滅する結末は本当に切なかった。

 

彼らの戦いはドロドロした人間模様も描かれたり、日常を描きつつ最終回のこの戦いには正義はないただ純粋な願いだけであるに集約されるのです。

 

この作品を見返すたびに亡き友人との思い出がよぎり、彼が存命ならどんな特撮談議が今できるのだろうか?と叶わぬ思いがいまだどこか心に遺っていて若くして旅立った20年以上前に立ち戻れるそんな思い出の作品です。