フーテンのあるるかんの特撮三昧の備忘録

日常と特撮について語るブログです。

ウルトラマンって一体何者?私が感じる光の子としてのウルトラマン像について

こんにちは。

 

今回から特撮関連の記事を書いていこうと思った時に、まず頭に浮かんだのは、光の国の平和の使者であり、光のシンボルであるヒーローのウルトラマンからすべきか、はたまた悪の秘密結社の歪んだ最先端科学技術から生まれた鬼っ子モンスターである仮面ライダーにすべきか?

 

両作品群ともに幼少期再放送やビデオでの試聴で夢中になった作品たちなのでどちらにもすごく思い入れのある存在なのです。

 

いわゆる太陽と月、光と影と対を成す特撮界の両巨頭でもあります。で、悩みましたが今回はウルトラマンを題材として記事を書いていこうと思います。

 

ではウルトラマンという作品とそのヒーロー像や物語性、テーマなどについて簡単にまとめるとこうなります。

 

ウルトラマンとは地球より遥かかなたにあるというM78星雲の光の国からの平和の使者という位置づけです。

これは初代ウルトラマンから始まりウルトラマン80までこの設定は活かされ、平成ではその集大成としてウルトラマンメビウスに受け継がれるのですが・・・。

 

その後はウルトラマンゼロの登場により光の国だけではなく多次元宇宙であるマルチバースの概念のおかけで世界観は光の国を飛び越えて様々なウルトラマンたちとの共演が可能になっていきました。

そして昭和の頃から連綿と続いているのは怪獣たちや宇宙人が放つ魅力ある物語性やテーマです。

 

自然界と人間社会とのバランスが崩れる時、怪獣はその巨大な体と特殊能力で人類に牙をむきます彼ら怪獣にも暴れる理由もあり、人類側にも怪獣倒さねばならない事情があります。

 

そもそも怪獣とは自然界に存在するマイノリティと言えると思う節があります。その巨体と凶暴性なども相まって人類と共存するのは非常に困難です。彼らは少数派でありながら存在感は強烈で一筋縄ではいかないことこそが彼ら怪獣は防衛チームの装備だけでは彼らを倒すことが出来ずウルトラマンたちと戦う事になる流れは子供たちをん熱狂の渦に巻き込みゴジラとも違う怪獣対ウルトラマンという図式を作り上げました。

 

そしてこの世界観に登場する宇宙人たちは怪獣たちとはまた違う事情を抱えていたり、狡猾な地球侵略をたくらんだりと多種多様な宇宙人が登場するのです。それは領土問題や、移民問題、差別問題などにもつながるテーマを内包しています。

 

空想特撮であり、怪獣ドラマであり、侵略者を描くSFものが絡みあうそれがウルトラマンという作品が持つ魅力なのです。

 

またウルトラマンは光の子と称されることがあります。これはウルトラマンウルトラセブンのメインライターであった金城哲夫氏の故郷沖縄の燦々と降り注ぐ太陽の日差しすなわち光が南国沖縄では本土以上の眩しさがあったことでしょう?そしてウルトラセブンでも描かれてたように寒さに弱く光エネルギーと熱が欠かせないウルトラセブンもまた太陽と光の象徴でした。

 

ですが、ウルトラマンというヒーローにはもう一つの側面もあります。それが第二次世界大戦で日本が敗れた大国アメリカの象徴という面もあります。

 

ウルトラマンの使いこなすスペシウム光線や八つ裂き光輪必殺技の数々は当時の圧倒的な軍事力の象徴への暗喩に他なりません。そして戦争体験者でもあった金城氏が子供の頃チョコレートを配る米兵たちの優しさや豊かさへの憧れもウルトラマンに投影したのかもしれません?

 

ただ破壊者としてのウルトラマン、平和の使者としてのウルトラマンが描かれ、光の象徴としてのウルトラマンは神のように描かれる節が多く見受けられました。

 

ですが、次回作ウルトラセブンでは地球に帰化しようと人類の味方として与するようになり。結果的に敵である侵略者と人類の間に挟まれ、そどちらの正義を優先するべきかで悩む両義性のヒーローとして描かれていき、自責の念にさいなまれることになります。

その極みと言えるのは帰ってきたウルトラマン以降の第二期ウルトラシリーズで、彼らは人間と同化し人間ウルトラマンとして生きる選択をする最終回を迎えます。

光と人の同化、平成、令和に至る現在においてもそのフォーマットは踏襲されており、単なる光の子だけでは説明しきれない人間ウルトラマンへの道程を経てこれまでもこれから先も多様なウルトラマン像が描かれることに期待を置いて・・。来月にはシンウルトラマン、そしてウルトラマンデッカーも控えていますそれだけでも期待に胸膨らむのです。