フーテンのあるるかんの特撮三昧の備忘録

日常と特撮について語るブログです。

血を吐きながら続ける悲しいマラソン・・・。悲劇の復讐者「ギエロン星獣」

こんばんは。あるるかんです。ちょっと間隔は空きましたが、体調がすぐれず自身にやきもきしておりました。

 

今宵の話題はウルトラセブンより「超兵器R1号」について感想レビューをしていこうかと思います。このお話のテーマは反核と軍拡競争の危険性というゼロサムゲームのような地球外の異星と外交努力を怠る軍備増強合戦の危うさがこのエピソードでの中核を担います。

 

大まかなお話の流れとしては地球防衛の名目で軍備増強を狙う地球防衛軍、その指令室で嬉々として超兵器の重要性を説く、フルハシ隊員たち。

しかしモロボシダンことウルトラセブンは険しく厳しい表情を浮かべ、フルハシに詰め寄ります。地球を守るためになら何をしてもいいのかと?我々は超兵器を誇示し知らしめることが重要だ、地球は狙われているんだ・・。しかし侵略者はそれを上回る超兵器を作り、侵略してきますよ。とダンが食い下がるとフルハシもまた我々はさらに強力な   超兵器を作ればいいじゃないか?

論戦は平行線をたどり、血を吐き続けながら続ける悲しいマラソンですよと去り際に語り、地球と地球人類に与し、愛したウルトラセブンことダンはその愚行がどうしても許せずまたその間で理解も出来ている自身の心の揺らぎもあることに迷います。これがのちの平成6部作最終章のフレンドシップ計画にまで及ぶのですが・・・。

 

そして賽は投げられたのでした、生物のいないとされるギエロン星を超兵器の実験に選びそのトリガーをひいてしまった人類はもう逃れようもないいわば宇宙の掟に背くような行為を愚かにも行動に起こしてしまったのです。そして母星を超兵器R1号によって破壊されたギエロン星獣がその人類の愚行への報復にやってくるのが大まかなストーリーなのですが、超兵器に搭載されていた核兵器で進化したギエロン星獣はその核兵器がもとで放射能をまき散らし、地球を死の星へと変えようとする、悲劇の復讐者として人類に立ちふさがるのです。そもそも人類の愚行が招いた人災であり、その事実は紛れもない侵略行為への布石に取られても反論できないところです。

 

しかしセブンは決断し、ギエロン星獣と対峙し、最後はアイスラッガーで喉元を搔っ切り絶命を迎えたギエロン星獣。セブンは地球と宇宙の両方の間で揺れ動く両義性のはざまで苦しみ続けた苦悩のヒーローでもありました。現行のシン・ウルトラマンでも母星と対立して断罪を受けることになっても地球人類を愛したウルトラマン=リピアとセブンの姿が重なるのです。平成セブンでは彼は幽閉されてしまうのですが・・・。

 

ウルトラセブンは地球と人類を愛したがゆえに、地球への帰化を望んだ異色のヒーローでもありました。

 

現在隣国では取り返しのつかない核ミサイルの実験を行ったり、果ては侵略戦争を仕掛け、罪なき人々の命を奪う残酷な行為を見せられるにつけ、人類はまだ進化には至ってはおらずこれ以上の蛮行を起こさないで欲しいと切なる願いを置きこの記事を締めくくらせていただきます。

私にとっての平成仮面ライダーの始まり。クウガとアギトまでを少々。

 

こんにちは、最近ウルトラマン関連に関わる記事が多くて、今回は仮面ライダーとりわけ、平成仮面ライダーの初期の平成仮面ライダークウガとアギトについて簡単な紹介と私に思い入れというか、当時の思い出を交えながら今回は書いていこうと思います。

 

ではまずは2000年に堂々の復活を果たした仮面ライダークウガについてですが、空白期間が長かった仮面ライダーに新作に胸を躍らせた記憶がいまだ鮮烈で今でいうPV的なテレビCMはどんな仮面ライダーが登場するのか?と期待値が上がっていき、実際テレビでの放送を見たとき、いい意味での裏切りが満載でした。

 

それは昭和の仮面ライダー然としない主人公五代雄介役にオダギリジョーさんのフラットというか自然体な演技とキャラクターに意表を突かれ、そしてのちに平成の滝和也とも称される一条薫役の葛山信吾さんとのタッグは警察と仮面ライダーとの共同戦線として描かれます。

 

物語が進むにつれどんどん激化する戦いの中、謎が謎を呼ぶ未確認生命体グロンギとの攻防が刑事ドラマと日常が破壊されていく有事の世界観とのダブルスタンダードとして描かれていき超古代の文明を解き明かすことで見えてくるクウガグロンギとの関係また戦いにおける勝利のヒントを得ていく二話構成のストーリー展開は難解になりすぎずスマートにその世界観に浸れる作風が時に残酷で戦慄の恐怖描写もワンクッション置くことで子供大人も楽しめる鑑賞に堪えうる作品になった気がします。

 

クウガは一貫して暴力へのためらいが五代雄介の中でありました。闘うことでしか分かり合えないことは悲しいとグロンギによって恩師の命を奪われた若者に投げかけるシーンは当時の私の心に刺さりました。その女性が言葉で和解しようする姿勢は現在のウクライナ情勢やコロナ禍にも通ずるものがあります。キレイごとでは済まされない過酷な現実とクウガの世界観で起こる暴力でぶつかり合う人類とグロンギは現実への暗喩でもありました。

 

そしてラスボスである、ン・ダグバ・ゼバとの最終決戦が雪山での血を吐きながら戦う姿には胸が痛んだ記憶があります。五代は泣きながら拳をふるい、ダグバは嬉々として笑いながら拳をふるう対照的な両者はボロボロになり、結末を待たずに終わり、最終回雄介では五代雄介の消息が明らかにされておらず、もしかしたら死んでしまったのではと思わせる描写すらあり、彼はきっとようやく争うことない冒険旅行に出掛けることが出来たと解釈したく思うところです・・・。

 

 

このクウガの大ヒットを受けて次回作が製作されることになったの仮面ライダーアギトでした。クウガと地続きかと思われましたが、いわゆるパラレルワード的に世界観がどんどん展開されていきました。このアギトは記憶喪失の青年津上翔一が変身し、神々の使徒天使でもあるアンノウンという謎めいたグロンギを超える敵に立ち向かうのです。

 

このアギトではメインとして三人の仮面ライダーが据えられており、すでに仮面ライダーである男津上翔一アギト、仮面ライダーになろうとする男氷川誠G3-X、仮面ライダーになってしまった男葦原涼が登場し、それぞれの立場や考え、運命に翻弄され闘いに身を置くことになるのです。

 

時に懊悩しながら挫折したり、苦悩や葛藤、死別などを繰り返し、彼らは過酷な運命を懸命に乗り越えて、神との闘いに勝利するのですが、それは神から与えられた人間への行く末への猶予の暗示でもあるのです。

 

三者三様の物語はどれも人間にまつわるものと理解していいくらいの、人間ドラマが群像劇として描かれていき、物語のベースはサイボーグ009の天使編や神々との闘い編のオマージュであり、脚本家井上敏樹氏の作風が色濃く反映されており、人間ドラマとしても日常と織り交ぜながらこの壮大なアギトサーガを描き切りました。

 

のちの平成仮面ライダーでも用いられる料理や食事シーンの多用は今作品からだと思います。いろんな意味で暗喩ではあるものの、日常生活を切り取る上で、食事や料理のシーンはいい意味で息抜き材料も担っていた気がするのです。

映画版でのワンシーンで生きることを肯定するセリフとして、津上が氷川からの質問に対しての回答として。印象的なセリフが生きるってことは美味しいってことだと思うんです。何を食べても美味しいし、何も食べなくても美味しいんです、死なんか背負ったら不味くなります。今セリフは妙を得ていてのちの展開に大きく関わり、映画版ではラストの名台詞にもつながるのです。

 

このアギトは映画化もされ、大ヒットを生み夏の恒例仮面ライダースーパー戦隊のセット映画が上映されることになりきっかけにもなったいわゆる流れを作った作品であり、クウガは美しい作品、いわば芸術的な感性で作られた作品、翻ってアギトは面白い作品だと井上敏樹氏は語っており、エンたーティメント性と、群像劇の人間ドラマの強化海外ドラマや映画に影響されたCGや映像技術それらはのちの後続作品にのフォーマットとして、機能しており前作超えるのが平成以降の作品の仮面ライダーでは求められるように変遷していったのです。

 

各々正義が思想がぶつかり合うことで生まれるドラマ性は確実につながりを見せ次回作龍騎や555では正義と何かということが問われるのようになっていきます。その基礎を担ったのが平成ライダーではクウガとアギトの二作品が先鞭を切りトップランナーとして走り続ける原動力になったに違いないと感じます。長くなりましたが本日はこの辺で・・・。

 

 

 

 

この書籍が私の特撮観を変えたものでした「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」

こんばんは、先日のシンウルトラマンの興奮冷めやらぬ間に、ウルトラマン関連でもう一つ記事を書き起こそうと思います。

 

今回は切通理作さんの特撮書籍「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」の簡単な紹介をしていこうと思います。

 

タイトルにある通り、昭和のウルトラシリーズを手掛けた4人の作家たちにフォーカスを当てており、金城哲夫佐々木守上原正三市川森一について各章に分けて、様々な視点で、作品についての考察や考証を論じながら各エピソードについても言及しており、なかなか読みごたえに事欠かない書籍です。

この本の魅力と言うと丁寧な取材と、ウルトラ愛にあふれる造詣の深さを著者の切通理作さんから感じられるところです。インタビューの際作家たちに問いたかったことは、あなたはどんな子供ったのですか?という根本的な作風や作劇法というよりその人が体験した原体験が聞きたかったと思える節があります。

 

 

多くの脚本家の中で異彩を特に放った4人の作家はいかにしてウルトラマンたちを創造にし、描いてきたか?というその道程を丁寧に分析し、批評しているのこの本の最大の魅力なのです。

 

詳しい内容は読んでみてのお楽しみではありますが、ぜひ読んでもらいたい特撮書籍であるので機会があればぜひ。

シンウルトラマン見てきました。最初に一言素晴らしかったです。ネタバレあり感想行きます。

さて今宵は先ほど鑑賞してまいりました、シンウルトラマンの感想レビューとしてネタバレありで、書いていこうと思います。未見の方はお戻りください。

 

 

ではまず冒頭、シンゴジラからシンウルトラマンへとタイトルが変化し、そのあとにウルトラQのゴメスが第一号の禍威獣として登場し東宝特撮から円谷に至る過程を作品として描いていて、これがエヴァっぽくて好きな展開でした。

 

そして禍特対が設立され多くの禍威獣を駆除するのですが、今回登場したネロンガには対策に苦慮しており、そこに宇宙から飛来した謎の銀色の巨人「ウルトラマン」が颯爽と現れ、瞬く間に倒してしまうのですが、ここで登場したウルトラマンの顔がAタイプなのにはわかったるなと思いました。映画「ULTRAMAN」や「ウルトラマンネクサス」での演出であった設定の第一形態アルフォンスの姿へのオマージュにも取れます。

 

銀色のボディがかなり無機質でありながらこれから進化していく姿が赤いボディカラーへの変化に至る理由は神永との一心同体がキーとなっており、地球人類と光の星の外星人がベーターカプセルを介して地球人の体からウルトラマンを異次元から召喚すると言う、当時の子供たちがモヤモヤしていた変身プロセスの謎の一端が明かされており、このベータカプセルの理論がのちの物語の展開に大きく関わるのですが・・・・

 

その点こそがザラブやメフィラスが暗躍する材料となり、地球人類という、現住生命体をうまく揺さぶりかけてていく外星人たち地球人を兵器利用したり案件など初代ウルトラマンだけではなく、ウルトラセブンや現在連載中漫画版「ULTRAMAN」や平成ウルトラマンや令和ウルトラマンなどといった現行作品も含めた要素をふんだんに盛り込んでいるのが今回のシンウルトラマンだと思います。

 

 

今回地球人と同化したことで人類が宇宙や光の星にとって害悪と判断されてしまい地球そのものを消滅する兵器としてウルトラマンの代わりに地球に来訪したゾーフィがゼットンを投入し、人類は絶望の淵に叩き落されます・この展開はウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティスの最終兵器ギガエンドラを思い出します。

これまで培った要素をふんだんに盛り込みつつ初代ウルトラマンを令和の世の復活させており新解釈と原典回収が織りなす素晴らしい物語性。

ウルトラマンが人類のことを好きになり、自らの罪を償いただかけがえのない仲間となった人類に寄り添いたかったことがこの映画見て素直に持った感想です。

 

地球人へと託したベーターカプセルの理論を体現する禍特対の面々によりゼットン撃破を成し遂げる方法を見出すのですが、それはウルトラマンとの別れを意味するものですた。

 

そしてゾーフィによって神永とリピアことウルトラマンは分離し、光の星へと帰っていくのですが、ウルトラマンは光の星の掟を破ってしまったため断罪に問われるのかと思わせる描写もあり、目覚めた神永にはおそらく記憶はないと思わせてのエンドロール米津玄師のM87が流れたときこの映画まさに総括し、締めくくってくれました。本当に素晴らしい映画を見せてくれてありがとう。庵野総監督と樋口監督をはじめスタッフ、キャスト陣の魅力や苦労や努力を証となった映画でした。

 

また名言と言えるかわかりませんが、○○○○私が好きな言葉ですという言い回しが最高であった山本耕史さんの演技もネタにされそうなセリフもイイ感じでしたしアクションも原典に準じた演出がなされており、これも高評価です。そしてカラータイマーの代わりにボディラインをカラーを緑にするのも、もともと帰ってきたウルトラマンの時代にあった光の国一般市民のウルトラマンのボディカラーが緑であったとされる裏設定があってそこも拾っているかと思うとゾーフィも児童雑誌の誤りから取っており、ネタにもなって本筋にもしっかり関わる作りこみは流石でした。

 

今度はぜひ友人と二人で見に行きたいと思っております。

 

 

最後にここまでハードル上げたら次のシン仮面ライダーは大丈夫なのか、少し心配になってきたくらい今回の映画の出来は素晴らしかったです。

あるるかんのウルトラシリーズ名作セレクション第一弾ウルトラマンA第13話と第14話の感想考察レビューとして。

あるるかんの名作セレクションと題して昭和、平成、令和の垣根を超えてウルトラシリーズにおける名作をランダムに私なりの個人的感想を交えてレビューしていこうと思います。

 

そして第一弾として選んだエピソードはやや変化球ではあるもののやはりこれにすることにしました。ウルトラマンAより第13話の死刑ウルトラ5兄弟と第14話銀河に散った5つの星をご紹介いたします。

 

あらすじネタバレを含みますので、未見の方はご注意を。

 

簡単なあらすじとしては殺し屋超獣バラバにより兄の命を奪われた少年が警察やTACに取り合ってもらえぬうちに、遠い宇宙のかなたからウルトラ兄弟からのウルトラサインが浮かび上がり、衛星ゴルゴダへ向かうため北斗と南はウルトラマンAに変身し、マイナス宇宙にあるゴルゴダへと向かうのですが、それは異次元人ヤプールの狡猾な罠だったのです。ゴルゴダに集まったウルトラ5兄弟はその罠に落ちてしまい絶対零度の冷凍ガスにより身動きが取れなくなるウルトラ5兄弟しかし初代ウルトラマンの判断で、ウルトラマンAに光エネルギーをウルトラチャージすることでAを地球に向かわせることは出来ましたが4兄弟はゴルゴダの丘に十字架へと磔にされ、人質に取られてしまうのです。地球に帰還したウルトラマンAでしたが、ヤプールに4兄弟が囚われていること知りバラバに敗北してしまいます。

 

地球人類とTACに全面降伏を要求する異次元人ヤプール。そして人類は続く14話で衛星ゴルゴダを破壊し、ヤプールを叩こうとする作戦に出ます。それに猛反発する北斗は上官である高倉司令官に反論するのです。

 

これまで地球守ってきたウルトラ4兄弟を救うべきと進言するもその行動により、超光速ミサイルの誘導パイロットにあてがわれゴルゴダへと向かうのですが・・・。

 

その頃ゴルゴダでは異次元超人エースキラーを作り上げ、テスト用のエースロボットを血祭りにあげ粉々にしてしまうほどの脅威が待っていたのです。超光速ロケットで向かう北斗でしたが、途中故障に遭い、暗闇のモニターから聞こえる南の声にモニター越しでウルトラタッチをしてAへと変身。

 

そこに待ち構えていたエースキラーに大苦戦するウルトラマンAその窮地にウルトラ兄弟は残りのエネルギーを与え、ウルトラギロチンを強化したスペースQを繰りだし、エースキラーに勝利し、地球に帰還し、続けてバラバも撃破するというのが大まかなストーリーです。

 

 

このお話のミソは何といってもウルトラ兄弟の絆と人間側のドラマパートだと思います。それはゴルゴダに再到着した時のAのセリフ兄さんたち私もいっしょに死のうという覚悟がうかがえます。

 

そして人類の愚行というゴルゴダの破壊に対して、北斗とTACの面々が上層部に反旗を翻す姿も印象的です。何といっても竜隊長の男気ある鉄拳制裁は視聴者の代弁でもあったわけです。

 

ウルトラ第二期ではウルトラ兄弟の友情と絆が強く描かれていくのですが、それが強化され始めてきた、分岐点の作品がウルトラマンAであったと思います。その先鞭を切ったはずのウルトラマンAではこのお話からメインライター市川森一氏がいったんシリーズを離れてしまうのです。製作現場と上層部との軋轢もあったとは噂では聞くのですが市川氏の描きたかったウルトラマンは採用されず溝が生まれたところもあったでしょう?そして最終回のエースの最後の願いの言葉につながると思うと腑に落ちるものはあります。

 

 

ゴルゴダもキリストが磔になり処刑された因縁の場所クリスチャンであった市川氏の希望は立たれて英雄であるウルトラマンを磔にした因果もあり感慨深いものがあります。

 

優しさを失わないでくれ、弱いものを労り、互いに助けあい、どこの国人とも仲良くしようとする気持ちを失わないでくれ、その気持ちが何百回裏切られようとも。このセリフが名言であると同時に、市川氏の敗北宣言、挫折と苦悩の象徴である辞世の句のようにも感じられます。

 

平成になり、ウルトラマンメビウスでも取り上げられており、変わらぬ願いでもあると締めくくられ、令和ではウルトラマンZの名づけ親として客演し、話題を集めました。そのZは最後の勇者として、この宇宙から争いをなくすことを後進に託した希望の象徴市川イズムが継承されたと感じらたお話でもありました。

 

これからもランダムにこういった形でご紹介させていただきますね。それでは・・・。

世界の悪意と闇と影から生まれた存在。孤高のヒーロー仮面ライダーという存在

こんにちは。あるるかんです。先ほどウルトラマンについてザックリとした記事書いたので、続いては悲劇性と苦悩を抱えながらも、哀しみを力へと変えた孤高のヒーロー「仮面ライダー」について書いてみようと思います。なぜ彼らは人類の自由と平和の使者となり得たのか?

 

まず一つの大前提として、昭和平成令和と共通している点が挙げられます。それは変身というキーワードが悪の技術に類するものが由来であることです。

改造人間という呼称は差別的な表現につながるとして平成、令和共にあまり扱えなくなってきてはいるのですが、昭和なら悪の組織ショッカーよる改造手術が代表的ですし、平成になると悪が起源となったオーバーテクノロジーによって変身するなど方法をとっています。

その多くが悪の最先端技術をもとに彼ら仮面ライダー作り上げています。でも彼らは悪の手に染まらず、図らずも手に入れたその力を行使した巨悪に立ち向かう姿が魅力的です。

 

ただ最近ではバイクなどには乗らなくはなってきましたが、仮面ライダーと言えばバイクなどのマシーンを駆り敢然と敵と渡り合う姿が印象的です。

 

 

平成に入り、かつての絵空事だったショッカーなどの悪の組織のテロや破壊工作は9.11によって現実のものになり、制作側も海外のCG多用のSF洋画のクオリティへの影響や正義のあり方など昭和からの宿題への回答が行われるようになりましたそれを現状の子供たちにも向けても送り続けたのです。

 

2000年に開始した仮面ライダークウガはまさに伝説を塗り替えていきました。リアルでグロいともとれる未確認生命体と呼ばれるグロンギという超古代の戦闘狩猟民族は殺人ゲームゲゲルで、多くの人々の命を奪っていくのです。警察も対応不能の敵に五代雄介こと仮面ライダークウガはこの血で血を洗う修羅の戦いに身を投じていくのです。

 

窮地に追い込まれながらも警視庁の一条薫たちの連携し、強力な敵を撃破していくそれは昭和のプロットをさらにその先を描いていったのです。製作陣の言葉を借りるとプロデューサーの高寺氏は理不尽な怒りや悲しみを暴力で暴力否定できないだろうか?と考え、文化圏も価値観、倫理観も異なる種族相手に本来拳を振り上げることに抵抗を感じる五代が図らず得た力で暴力によって彼らの行いを否定するのです。

 

このクウガの世界観は現在のコロナ禍と非常にリンクしている節があります。得体のしれないウィルスとグロンギ生活様式は変わった上で、緊急事態宣言下のようなアフターコロナの世界そのものです。グロンギによって奪われる無辜の人々、そしてそれに立ち向かうクウガと警察の構図はウクライナへの侵略とも重なるところがあります。

 

そして先ほど出た9.11のあとに制作された仮面ライダー龍騎は13人の仮面ライダーが最後の一人になるまで戦い、生き残った者だけが願いをかなえるというバトルロワイヤルものになり、戦争や紛争も多発した時期でもあり、経済に影を落とし不景気が蔓延した時代でもありました。信ずるものは己ひとり過度の競争社会の縮図ともとれる作品がこの龍騎でした。

またそのあとも3.11の大震災時において仮面ライダーも表現の自主規制を強いられます。過激な表現などは自主規制しておけとの世の中の無言の圧力によってフォーゼ、ウィザードなどは守りに入らざる得ない状況であったと記憶しています。

 

ですが次回作仮面ライダー鎧武では、守りに入った平成ライダーに刺激、挑戦する精神をよみがえらせてくれました。理由なき悪意、人間同士の醜い抗争や覇権争い武部プロデューサーと脚本家虚淵玄のタッグはまた新たなステージ誘ったのです。

 

この記事だけでは語りつくせぬ魅力あふれる作品が仮面ライダーであり、悪に反旗を翻す鬼っ子モンスターヒーローはリメイクや動画配信作品、アニメ、漫画媒体新たなクリエーターたちの手で蘇り続けています。現行仮面ライダーバイス、今秋には仮面ライダーBLACKSUN,来年はシン仮面ライダーも控えており、親子三世代ものとなった特撮のキラーコンテンツでもある仮面ライダー今宵はどの作品を見ようか。どれも素晴らしい作品なので迷いますね。

ウルトラマンって一体何者?私が感じる光の子としてのウルトラマン像について

こんにちは。

 

今回から特撮関連の記事を書いていこうと思った時に、まず頭に浮かんだのは、光の国の平和の使者であり、光のシンボルであるヒーローのウルトラマンからすべきか、はたまた悪の秘密結社の歪んだ最先端科学技術から生まれた鬼っ子モンスターである仮面ライダーにすべきか?

 

両作品群ともに幼少期再放送やビデオでの試聴で夢中になった作品たちなのでどちらにもすごく思い入れのある存在なのです。

 

いわゆる太陽と月、光と影と対を成す特撮界の両巨頭でもあります。で、悩みましたが今回はウルトラマンを題材として記事を書いていこうと思います。

 

ではウルトラマンという作品とそのヒーロー像や物語性、テーマなどについて簡単にまとめるとこうなります。

 

ウルトラマンとは地球より遥かかなたにあるというM78星雲の光の国からの平和の使者という位置づけです。

これは初代ウルトラマンから始まりウルトラマン80までこの設定は活かされ、平成ではその集大成としてウルトラマンメビウスに受け継がれるのですが・・・。

 

その後はウルトラマンゼロの登場により光の国だけではなく多次元宇宙であるマルチバースの概念のおかけで世界観は光の国を飛び越えて様々なウルトラマンたちとの共演が可能になっていきました。

そして昭和の頃から連綿と続いているのは怪獣たちや宇宙人が放つ魅力ある物語性やテーマです。

 

自然界と人間社会とのバランスが崩れる時、怪獣はその巨大な体と特殊能力で人類に牙をむきます彼ら怪獣にも暴れる理由もあり、人類側にも怪獣倒さねばならない事情があります。

 

そもそも怪獣とは自然界に存在するマイノリティと言えると思う節があります。その巨体と凶暴性なども相まって人類と共存するのは非常に困難です。彼らは少数派でありながら存在感は強烈で一筋縄ではいかないことこそが彼ら怪獣は防衛チームの装備だけでは彼らを倒すことが出来ずウルトラマンたちと戦う事になる流れは子供たちをん熱狂の渦に巻き込みゴジラとも違う怪獣対ウルトラマンという図式を作り上げました。

 

そしてこの世界観に登場する宇宙人たちは怪獣たちとはまた違う事情を抱えていたり、狡猾な地球侵略をたくらんだりと多種多様な宇宙人が登場するのです。それは領土問題や、移民問題、差別問題などにもつながるテーマを内包しています。

 

空想特撮であり、怪獣ドラマであり、侵略者を描くSFものが絡みあうそれがウルトラマンという作品が持つ魅力なのです。

 

またウルトラマンは光の子と称されることがあります。これはウルトラマンウルトラセブンのメインライターであった金城哲夫氏の故郷沖縄の燦々と降り注ぐ太陽の日差しすなわち光が南国沖縄では本土以上の眩しさがあったことでしょう?そしてウルトラセブンでも描かれてたように寒さに弱く光エネルギーと熱が欠かせないウルトラセブンもまた太陽と光の象徴でした。

 

ですが、ウルトラマンというヒーローにはもう一つの側面もあります。それが第二次世界大戦で日本が敗れた大国アメリカの象徴という面もあります。

 

ウルトラマンの使いこなすスペシウム光線や八つ裂き光輪必殺技の数々は当時の圧倒的な軍事力の象徴への暗喩に他なりません。そして戦争体験者でもあった金城氏が子供の頃チョコレートを配る米兵たちの優しさや豊かさへの憧れもウルトラマンに投影したのかもしれません?

 

ただ破壊者としてのウルトラマン、平和の使者としてのウルトラマンが描かれ、光の象徴としてのウルトラマンは神のように描かれる節が多く見受けられました。

 

ですが、次回作ウルトラセブンでは地球に帰化しようと人類の味方として与するようになり。結果的に敵である侵略者と人類の間に挟まれ、そどちらの正義を優先するべきかで悩む両義性のヒーローとして描かれていき、自責の念にさいなまれることになります。

その極みと言えるのは帰ってきたウルトラマン以降の第二期ウルトラシリーズで、彼らは人間と同化し人間ウルトラマンとして生きる選択をする最終回を迎えます。

光と人の同化、平成、令和に至る現在においてもそのフォーマットは踏襲されており、単なる光の子だけでは説明しきれない人間ウルトラマンへの道程を経てこれまでもこれから先も多様なウルトラマン像が描かれることに期待を置いて・・。来月にはシンウルトラマン、そしてウルトラマンデッカーも控えていますそれだけでも期待に胸膨らむのです。